
「節約」ってなんだ?
Podcast af 武田邦彦
不思議なことに日本人は節約が好きな人が多いようです。特にここでいう知識人や女性の方の中では固く「節約は善」と信じている人が多いようです。でもそれには深い陰謀があること、自分の財布を狙っている人たちの一種の作戦であることについて整理をしたいと思います。
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不思議なことに「環境のための節約」などできないし、「自分が得するための節約」なら人に威張ることもありません。それなのに知識人や主婦など、一見して真面目な人が他人に節約を勧めたり、「節約は大切なことよ」などと言ったりしています。錯覚とは恐ろしいものですね。 でも、ここまで話をしてきたように、「節約」は不道徳です。弱いものをイジメ、若い人の才能をつぶし、日本が衰退するのですから、良いはずはありません。そして日本の文化と言われる「もったいない」というのは物を節約することではなく、「私のようなものに、そんなこともったいない」という謙虚な心であって、物に関係する言葉ではないのです。 「もったいない」は「高貴な方からそんなお言葉をかけていただいて、もったいない」ということで、日本文化には、「心を大切にする」というのはありますが「物を大切にする」(無駄に捨てないということは含まない)という文化はありません。 その証拠の一つがお正月のおせち料理で、そこには大漁(魚をふんだんに食べる)、豊作(お米を腹いっぱい食べる)、金銀財宝(ぜいたくな生活をする)、子だくさん(子孫に恵まれる)などの思想が詰まっています。 また七福神の船を見ると、海面には鯛がはね、富士山がそびえ、船の中には金銀財宝、豊かな食糧に満ちています。日本文化は「金がまぶしい国、ジャパン」だったであって、決して縮こまった国ではなかったのです。 なぜ、私たちの祖先はなぜ「繁栄」の方が良いと考えたのでしょうか? もし私たちの周りに一切の「敵」がなく、世界で日本人だけが住んでいれば、日本が「繁栄」しても「衰退」しても同じなのですが、日本の周りには「危険」と思っていたほうが良い日本人ではない人たちが住んでいます。 私たち大人はそれでも良いかも知れませんが、国土のように継続的なものは自分の世代だけではなく、次世代のことも考えなければなりません。(国の力=人口×活動量=エネルギー消費量) 私たち日本人は「無駄をしない」ということと、「明るく楽しい生活」をどうしたら調和することができるでしょうか? 第一に、お金を国家にとられないことです。 誠実な国民なら、「耳触りのよい言葉を使って(節約、もったいないなど)、国民に貯金を促し、そのお金で政府財政を赤字にして、それが増税になる(事実としてそうなった)」という専門家やNHKの誘導に加担しないようにしたい。 このことを私は6年ほど前「国債を買ってはいけない」という本を東洋経済新社から出し、専門家からバッシングを受けたが、「節約していると政府の借金が増えるから増税になる」と書いたことがバッシングの原因となった。今から考えると、彼らの作戦に対抗したことになっていた。 第二に、年金は崩壊することを前提に財産を持っておくことです だからと言って貯金が不要なわけではない。「積み立て型年金」は厚労省の計画通り崩壊し、「賦課型年金(若い人が払う)」も少子化で崩壊する。成功する年金制度はまだできていないので、私たちは自衛のために若いうちから、ファンドなどを良く選んで老後に備えておく必要がある。 第三に、若い人に節約を強いて人生をダメにしないように。 電気も、ガソリンも、コンクリートも「人」のために存在するもので、日本だけ突出しては問題ですが、せめてアメリカ並みならOKというぐらいのガイドラインが良いと思います。(日本は、電気やガソリンは現在の2倍ぐらいまでOK。コンクリートはまだまだ少ない。若い人はやることが多いので、あまり節約など考える人生の時期ではない)。 第四に、「節約は善」であると価値観を転換することです。 「物」に向かっている自分の心を「心」に関心を持つようにし、人とのいざこざを減らしたり、楽しく豊かな人生を目指したりすることに転換する。「自分や他人の人生を有意義に楽しくする」ということを「善」と考える価値観に転換するのがおすすめです。 第五に、誠実な人が出世する社会を作ることです。 何と言っても、社会の指導者が誠実であることが大切で、そのためには学校の教育や社会の人の評価が「ウソをつく人より正直な人を評価する」という社会を作っていく必要があります。 (平成26年1月8日) 4.mp3

不思議なことに「環境のための節約」などできないし、「自分が得するための節約」なら人に威張ることもありません。それなのに知識人や主婦など、一見して真面目な人が他人に節約を勧めたり、「節約は大切なことよ」などと言ったりしています。錯覚とは恐ろしいものですね。 でも、ここまで話をしてきたように、「節約」は不道徳です。弱いものをイジメ、若い人の才能をつぶし、日本が衰退するのですから、良いはずはありません。そして日本の文化と言われる「もったいない」というのは物を節約することではなく、「私のようなものに、そんなこともったいない」という謙虚な心であって、物に関係する言葉ではないのです。 「もったいない」は「高貴な方からそんなお言葉をかけていただいて、もったいない」ということで、日本文化には、「心を大切にする」というのはありますが「物を大切にする」(無駄に捨てないということは含まない)という文化はありません。 その証拠の一つがお正月のおせち料理で、そこには大漁(魚をふんだんに食べる)、豊作(お米を腹いっぱい食べる)、金銀財宝(ぜいたくな生活をする)、子だくさん(子孫に恵まれる)などの思想が詰まっています。 また七福神の船を見ると、海面には鯛がはね、富士山がそびえ、船の中には金銀財宝、豊かな食糧に満ちています。日本文化は「金がまぶしい国、ジャパン」だったであって、決して縮こまった国ではなかったのです。 なぜ、私たちの祖先はなぜ「繁栄」の方が良いと考えたのでしょうか? もし私たちの周りに一切の「敵」がなく、世界で日本人だけが住んでいれば、日本が「繁栄」しても「衰退」しても同じなのですが、日本の周りには「危険」と思っていたほうが良い日本人ではない人たちが住んでいます。 私たち大人はそれでも良いかも知れませんが、国土のように継続的なものは自分の世代だけではなく、次世代のことも考えなければなりません。(国の力=人口×活動量=エネルギー消費量) 私たち日本人は「無駄をしない」ということと、「明るく楽しい生活」をどうしたら調和することができるでしょうか? 第一に、お金を国家にとられないことです。 誠実な国民なら、「耳触りのよい言葉を使って(節約、もったいないなど)、国民に貯金を促し、そのお金で政府財政を赤字にして、それが増税になる(事実としてそうなった)」という専門家やNHKの誘導に加担しないようにしたい。 このことを私は6年ほど前「国債を買ってはいけない」という本を東洋経済新社から出し、専門家からバッシングを受けたが、「節約していると政府の借金が増えるから増税になる」と書いたことがバッシングの原因となった。今から考えると、彼らの作戦に対抗したことになっていた。 第二に、年金は崩壊することを前提に財産を持っておくことです だからと言って貯金が不要なわけではない。「積み立て型年金」は厚労省の計画通り崩壊し、「賦課型年金(若い人が払う)」も少子化で崩壊する。成功する年金制度はまだできていないので、私たちは自衛のために若いうちから、ファンドなどを良く選んで老後に備えておく必要がある。 第三に、若い人に節約を強いて人生をダメにしないように。 電気も、ガソリンも、コンクリートも「人」のために存在するもので、日本だけ突出しては問題ですが、せめてアメリカ並みならOKというぐらいのガイドラインが良いと思います。(日本は、電気やガソリンは現在の2倍ぐらいまでOK。コンクリートはまだまだ少ない。若い人はやることが多いので、あまり節約など考える人生の時期ではない)。 第四に、「節約は善」であると価値観を転換することです。 「物」に向かっている自分の心を「心」に関心を持つようにし、人とのいざこざを減らしたり、楽しく豊かな人生を目指したりすることに転換する。「自分や他人の人生を有意義に楽しくする」ということを「善」と考える価値観に転換するのがおすすめです。 第五に、誠実な人が出世する社会を作ることです。 何と言っても、社会の指導者が誠実であることが大切で、そのためには学校の教育や社会の人の評価が「ウソをつく人より正直な人を評価する」という社会を作っていく必要があります。 (平成26年1月8日) このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら [https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/index?d=d8ba73d0dab024b5b3b2579778e50f5d&u=http://setuyakutoha.up.seesaa.net/image/4.mp3]

節約も3回目になりますが、少し立ち止まって考えてみたいと思います。 ある環境のシンポジウムで女性の大学の先生とご一緒の時がありました。その先生が「節約は大切だ」と言われるので、「私はこの歳になるまで女性の人で、環境のために節約している人を見たことがないのですが、先生はどのような方法で節約しているのですか?」と聞きました。 これだけでは唐突なので、「ある主婦が月30万円で家庭を切り盛りしているとします。家族で節約して27万円で済んだので、3万円を銀行に預けたとしましょう。銀行は金庫にお金を入れておくわけではなく、すぐ社長に貸しますから、そのお金は使われてしまいます。環境(資源の消費、電気の消費など)は誰が使ったかは関係がありませんから、それで30万円分は使われてしまいますね。また銀行に預けた人は後にそのお金を引き出して使いますから、結局33万円が使われます。ずいぶん、環境を汚しますね。」 「もともと銀行というところは社会のお金の回転を良くして消費(生産)を増やすためにある機関ですから、銀行に貯金するのは節約と反することです。つまり、現代社会では収入を減らす以外に節約する方法がないのですが、先生はどうされているのですか?」とお聞きしました。 その先生は誠実な方で、質問にはお答えにならず、真っ赤な顔になって下を向かれていました。「節約している」というのはウソなのです。節約しているといわなければ「良い子」になれないので、そういっているだけです。現実にはほとんどの人が「節約しよう」と言って、その実は「節約して余ったお金で「自分」が別のことをしよう」とか、「お金が足りないから節約しているだけ」ということに過ぎないのです。 私の経験ではお金持ちで節約している人はいません。年収300万円なら300万円を使うか貯金していますし、3000万円から3000万円を結局使っています。だからしいて言えば、「節約している人」というのは収入の少ない人ということになりますが、「環境を大切にしなければならない。節約は良いことだ。それは日本文化だ」という人で「給料を下げてくれ」という人も見たことがありません。 知識人というのは中途半端に頭が良いので、「資源が足りないから節約しろ」というので、「アメリカも中国も節約していませんよ。日本人だけが節約してどうなるのですか?」とか「私は資源の専門家ですが、石油系の資源は1万年はあります」というと、「私は物質のことを言っているのではない。精神的なことなのだ」とそれまで言っていたことと180度ちがうことを言って、素早くすり抜けます。 その意味では、高給取りで知識人ほど「ウソ」をついて、自分は結果として物を多く消費しているのに、他人に「節約」を呼びかけるということをしているのですから、厳しく言えば「節約が大切だという人は偽善者だ」ということにもなります。 また、私たちはグローバリゼーションの中にいるのですから、他国とあまり大きく違うことをして苦しむことはないと思います。もし石油が枯渇するなら、アメリカや中国が節約しないと、日本人が節約しても全く意味がありません。というのは石油の生産量は日本人が節約しても変わりませんから、その分だけ中国人が使って楽な生活をしたり、国が栄えたりするからです。その意味で「世界的なもの」=石油の消費、温暖化阻止などは、日本が節約すればするほど、日本の将来は危うくなるのです。 人間が自然の中でつつましく生きるのは大切なことで、それを否定はできないと思います。でも、その人が生を受け、才能や生きがいを伸ばすうえで電気をつけたければつければよいし、アイスリンクを滑りたければ滑ればよいのではないかと私は思います。物を粗末に扱うことには賛成しませんが、でも人の人生、目標、満足のために適切にものを使うことは正しいと思うからです。 熱くて苦しいならクーラーをつければよいのですが、40歳代の女性で軽い労働をしている人なら発熱量が1700キロカロリーなら少し温度が高くても良いし、20歳代で忙しい若い男性なら3400キロカロリーも燃やしています。 頭脳を使っているときには25ワットがよけいに足されますから、勉強している人は熱く感じるので冷やしてやりたいと思います。 冷え性の女性が冷房に苦しむので、それは考える必要がありますが、自分の発熱量の2倍の発熱をしている男性のことも考えてあげて、男性が暑いという言い分にも耳を傾けてほしいと思うのです。つまり、男女の体の差や、生活の違いを相互に理解しあうのが本当の男女の関係と私は思います。 また、人の人生というのは「資源を節約するため、生きるだけのため」に生きているのでしょうか? たとえば、スポーツ、つまりラグビーでもサッカーでも、野球での意味がないと言えば意味がないのですが、やはりそれも人の生きがいになります。スポーツは原則として物質としては何も生み出さないので、超浪費と言えば浪費です。 歌でも、オーケストラでも「物を生み出す」ことはありません。しかし、スポーツも芸術もすべて「節約」に反するから「無駄」であるとか、「自分はスポーツが好きだから良いけれど、ほかのものはダメだ」ということになるのでしょうか? でも「人はパンのみで生きているのではない」と言われるように、人間の価値は生きることそのものより、浪費するスポーツなどが大切だと私は思います。 女性がケーキなどを食べていると、私は「なんて無駄なことをしているのだ」とおもいます。それが1つ500円と聞くとびっくりして、「お弁当が買えるじゃないか」と思いますが、その女性にとってはお弁当よりケーキなのでしょう。他人が自分のお金で好きなものを買っているのですから、無駄も何もないのです。 「自分と同じ生きがいを持て」、「自分がいらないからお前も使うな」ということにはならないと思うのです。そして私は科学者なので、どうしても「石油も資源も十分にあるし、地球は寒冷化していくのだから、なんでそんなに制限するの?」という疑問が融けません。 科学技術に携わるものとして、熱が高い子供を母親が吹雪の中を走るのなら、暖房の効いた自動車で病院に送ってあげたい、そのために私たちは技術をやっているのだという気持ちが消えません。物を大切にして分別する気持ちはわかるけれど、そんなことをしても資源の無駄使いになるし、もし分別が必要なら工業的に技術を作ってやります、個人の時間は楽しいことに使ってくださいと言いたい気持ちがします。どうしても分別しなければならなければ工場で分別すればよいので、なにも毎日家で分別する必要などありません。 中国の文化大革命のとき、「人民製鉄」という運動がありました。巨大な製鉄会社ではなく、国民が一人一人で自給自足をしなければならないので、製鉄所をつくるというので小さな製鉄所が膨大な数作られました。今は無残な残骸になっています。精神活動は時に重要ですが、バッシングを伴うような精神活動は多くの場合、人を苦しめるだけで無意味です。 ペットボトルのお茶が登場するまで、職場の女性はお茶くみが仕事でしたが、今では会議の時にはペットボトルで済み、女性がより重要な仕事ができるようになりました。牛乳瓶がパックになって使い捨てになり、朝早く起きて牛乳を配達していた人たちはもっと楽な仕事になりました。 一人一人の人がより楽しく、豊かで、充実した人生を送ってほしい・・・そのためにこそ私は努力してきたのに「節約」なんて・・・という気持ちは消えません。 無駄にものを使うということと、豊かで充実した人生を送るというのは決して相反することではなく、私たちはあくまでも「人」を中心とし、「物」を重視して人を殺すようなことをしないほうが良いと思います。「電気」はものですから、作ればいくらでもあるのですから、暗い生活より明るい生活が良ければ、お金の許す限り明るい生活をしてもらいたいものです。 (平成26年1月7日) 3.mp3

節約も3回目になりますが、少し立ち止まって考えてみたいと思います。 ある環境のシンポジウムで女性の大学の先生とご一緒の時がありました。その先生が「節約は大切だ」と言われるので、「私はこの歳になるまで女性の人で、環境のために節約している人を見たことがないのですが、先生はどのような方法で節約しているのですか?」と聞きました。 これだけでは唐突なので、「ある主婦が月30万円で家庭を切り盛りしているとします。家族で節約して27万円で済んだので、3万円を銀行に預けたとしましょう。銀行は金庫にお金を入れておくわけではなく、すぐ社長に貸しますから、そのお金は使われてしまいます。環境(資源の消費、電気の消費など)は誰が使ったかは関係がありませんから、それで30万円分は使われてしまいますね。また銀行に預けた人は後にそのお金を引き出して使いますから、結局33万円が使われます。ずいぶん、環境を汚しますね。」 「もともと銀行というところは社会のお金の回転を良くして消費(生産)を増やすためにある機関ですから、銀行に貯金するのは節約と反することです。つまり、現代社会では収入を減らす以外に節約する方法がないのですが、先生はどうされているのですか?」とお聞きしました。 その先生は誠実な方で、質問にはお答えにならず、真っ赤な顔になって下を向かれていました。「節約している」というのはウソなのです。節約しているといわなければ「良い子」になれないので、そういっているだけです。現実にはほとんどの人が「節約しよう」と言って、その実は「節約して余ったお金で「自分」が別のことをしよう」とか、「お金が足りないから節約しているだけ」ということに過ぎないのです。 私の経験ではお金持ちで節約している人はいません。年収300万円なら300万円を使うか貯金していますし、3000万円から3000万円を結局使っています。だからしいて言えば、「節約している人」というのは収入の少ない人ということになりますが、「環境を大切にしなければならない。節約は良いことだ。それは日本文化だ」という人で「給料を下げてくれ」という人も見たことがありません。 知識人というのは中途半端に頭が良いので、「資源が足りないから節約しろ」というので、「アメリカも中国も節約していませんよ。日本人だけが節約してどうなるのですか?」とか「私は資源の専門家ですが、石油系の資源は1万年はあります」というと、「私は物質のことを言っているのではない。精神的なことなのだ」とそれまで言っていたことと180度ちがうことを言って、素早くすり抜けます。 その意味では、高給取りで知識人ほど「ウソ」をついて、自分は結果として物を多く消費しているのに、他人に「節約」を呼びかけるということをしているのですから、厳しく言えば「節約が大切だという人は偽善者だ」ということにもなります。 また、私たちはグローバリゼーションの中にいるのですから、他国とあまり大きく違うことをして苦しむことはないと思います。もし石油が枯渇するなら、アメリカや中国が節約しないと、日本人が節約しても全く意味がありません。というのは石油の生産量は日本人が節約しても変わりませんから、その分だけ中国人が使って楽な生活をしたり、国が栄えたりするからです。その意味で「世界的なもの」=石油の消費、温暖化阻止などは、日本が節約すればするほど、日本の将来は危うくなるのです。 人間が自然の中でつつましく生きるのは大切なことで、それを否定はできないと思います。でも、その人が生を受け、才能や生きがいを伸ばすうえで電気をつけたければつければよいし、アイスリンクを滑りたければ滑ればよいのではないかと私は思います。物を粗末に扱うことには賛成しませんが、でも人の人生、目標、満足のために適切にものを使うことは正しいと思うからです。 熱くて苦しいならクーラーをつければよいのですが、40歳代の女性で軽い労働をしている人なら発熱量が1700キロカロリーなら少し温度が高くても良いし、20歳代で忙しい若い男性なら3400キロカロリーも燃やしています。 頭脳を使っているときには25ワットがよけいに足されますから、勉強している人は熱く感じるので冷やしてやりたいと思います。 冷え性の女性が冷房に苦しむので、それは考える必要がありますが、自分の発熱量の2倍の発熱をしている男性のことも考えてあげて、男性が暑いという言い分にも耳を傾けてほしいと思うのです。つまり、男女の体の差や、生活の違いを相互に理解しあうのが本当の男女の関係と私は思います。 また、人の人生というのは「資源を節約するため、生きるだけのため」に生きているのでしょうか? たとえば、スポーツ、つまりラグビーでもサッカーでも、野球での意味がないと言えば意味がないのですが、やはりそれも人の生きがいになります。スポーツは原則として物質としては何も生み出さないので、超浪費と言えば浪費です。 歌でも、オーケストラでも「物を生み出す」ことはありません。しかし、スポーツも芸術もすべて「節約」に反するから「無駄」であるとか、「自分はスポーツが好きだから良いけれど、ほかのものはダメだ」ということになるのでしょうか? でも「人はパンのみで生きているのではない」と言われるように、人間の価値は生きることそのものより、浪費するスポーツなどが大切だと私は思います。 女性がケーキなどを食べていると、私は「なんて無駄なことをしているのだ」とおもいます。それが1つ500円と聞くとびっくりして、「お弁当が買えるじゃないか」と思いますが、その女性にとってはお弁当よりケーキなのでしょう。他人が自分のお金で好きなものを買っているのですから、無駄も何もないのです。 「自分と同じ生きがいを持て」、「自分がいらないからお前も使うな」ということにはならないと思うのです。そして私は科学者なので、どうしても「石油も資源も十分にあるし、地球は寒冷化していくのだから、なんでそんなに制限するの?」という疑問が融けません。 科学技術に携わるものとして、熱が高い子供を母親が吹雪の中を走るのなら、暖房の効いた自動車で病院に送ってあげたい、そのために私たちは技術をやっているのだという気持ちが消えません。物を大切にして分別する気持ちはわかるけれど、そんなことをしても資源の無駄使いになるし、もし分別が必要なら工業的に技術を作ってやります、個人の時間は楽しいことに使ってくださいと言いたい気持ちがします。どうしても分別しなければならなければ工場で分別すればよいので、なにも毎日家で分別する必要などありません。 中国の文化大革命のとき、「人民製鉄」という運動がありました。巨大な製鉄会社ではなく、国民が一人一人で自給自足をしなければならないので、製鉄所をつくるというので小さな製鉄所が膨大な数作られました。今は無残な残骸になっています。精神活動は時に重要ですが、バッシングを伴うような精神活動は多くの場合、人を苦しめるだけで無意味です。 ペットボトルのお茶が登場するまで、職場の女性はお茶くみが仕事でしたが、今では会議の時にはペットボトルで済み、女性がより重要な仕事ができるようになりました。牛乳瓶がパックになって使い捨てになり、朝早く起きて牛乳を配達していた人たちはもっと楽な仕事になりました。 一人一人の人がより楽しく、豊かで、充実した人生を送ってほしい・・・そのためにこそ私は努力してきたのに「節約」なんて・・・という気持ちは消えません。 無駄にものを使うということと、豊かで充実した人生を送るというのは決して相反することではなく、私たちはあくまでも「人」を中心とし、「物」を重視して人を殺すようなことをしないほうが良いと思います。「電気」はものですから、作ればいくらでもあるのですから、暗い生活より明るい生活が良ければ、お金の許す限り明るい生活をしてもらいたいものです。 (平成26年1月7日) このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら [https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/index?d=2160976a7c78d0911352282fc814c71c&u=http://setuyakutoha.up.seesaa.net/image/3.mp3]

節約には、1)物を節約する、2)人生の時間を節約する、のどちらかがあって、まず「物は人のためにある」という原則を立てれば、「物を節約して人生を無駄にする」というのではなく、「物をふんだんにつかって人生の時間を節約する」のが正しいと考えられます。 つまり、人間の一生の時間は決まっているので、その間に自分の人生を大いに謳歌するのが正しいと考えられます。この「謳歌」というのはどういう形でも良いのですが、少なくとも「物」に縛られないようにすることが人を大切にすることになるでしょう。 江戸時代のような生活をして、毎日、井戸から水を汲み、裏庭に行って薪を切ってきて竈に火をつけ、ご飯を炊いたりおかずを煮たりすれば、それで半日は過ぎてしまいます。家電製品がなければ家事の時間は大変ですし、自動車がなければ病院に行くにも一苦労です。東京まで新幹線で行かずに東海道五十三次で行けばそれこそ大変なことになります。 現実にはそんなことはありませんが、「節約」といって、分別したり、わずかな水を節約したり、包み紙を減らしたり、石油は枯渇しないのにレジ袋をもらわなかったり、電気はたっぷりあるのに冷房温度を高くして熱いといってぐったりしたり、それぞれ一つ一つのことは小さなことですが、人生はずいぶん短くなります。 それでも人生ですることがないという人はそれでも良いかも知れません。でも、本当は自分の人生ですることがないと思っている人でも、秋には紅葉を見に家族と楽しい一泊旅行に行ったり、野球や競馬の好きな人は1週間に1度ぐらいは仲間と野球観戦や競馬で楽しんだり、あるいは音楽、仲間との飲み方、買い物、私なら執筆など人生を充実して送ることはできると思います。 日本人の所得はフランスと同じですが、フランス人の1年の平均有給休暇は32日、日本人8日。フランス人の1年の家族や友人との旅行がホテル20泊、日本人1泊2日。「節約」という言葉は、実はフランス人並みに豊かな生活を送ることができるはずの日本人からお金を取り上げる言葉だったのです。 これまで知識人の言葉に惑わされて「節約は大事なことだ」と言った人はこの際、よくよく考えてみたほうが良いとおもいます。それは人の人生を奪うことになるからです。また経済的には「自分がもらったお金が次の人の収入になるように使う」ことが大切で、貯金は(全体の消費が落ちているときには)経済の活性化にも役立たちません。つまり「消費」は悪いことではないのです。 ところで、私たちは「なにが正しいか」を考えるときに、「世界全体」や「自分と違う人たち」のことも考慮しなければなりません。たとえば、すでに50歳を過ぎた人が「俺の若い時代は散々、暴れたものだ。もういい」、「バブルの時はすごかったよ。毎日、ゴルフして飲んでいた」と言ったかと思うと、「節約は大切だ」という。それは「自分は散々、活動したり遊んだりしたので、もういい」と言っているだけで、それに影響されて若い時間を活動できなかった若者のことが念頭にないように感じられます。 また、家庭生活中心で穏やかな人生を送っている人は、それはそれで立派な人生ですが、かといって懸命に働き、出世したいと思っている激しい生活をしている若い人が間違っているわけでもありません。 かく言う私も若いころは土日になると朝からカーテンを閉めて研究に没頭したものです。そんな時に「分別しろ」などと言われたら「俺の人生の時間と、ゴミとどっちが大切なのだ!」と叫んだでしょう。 つまり、お金や物より、一分一秒でももったいないという人もいるのです。それが社会を破壊したり、悪いことをしているなら別ですが、知識人の作戦に乗って時間が惜しい若い人の人生の時間を奪うのは良いこととは思えません。つまり一人一人はその人の人生観によって、さらには年齢やタイミングで「節約」することがその人の人生にとって耐えがたい時があるのです。 これに関して私は時々、フィギャーの浅田真央選手のことを引き合いに出すことがあります。私は彼女の小さいころからのファンですから、彼女を批判するつもりは全くないのですが、もし彼女が「節約」や「節電」を他の中学生は高校生と同じレベルで強いられたら、彼女が世界選手権で優勝することはなかったでしょう。 小学校のころから才能はあったとしても、「友達も冷房温度まで我慢しているのだから、あなたも電気を使って氷を張って、リンクで練習はいつもできないのよ。アイスリンクを冷やすのはとても電気を使うのだから」と言われたらどうでしょうか? 浅田選手は練習ができないか、それとも嫌な気分になるでしょう。 でも、浅田選手はまだスケートという目に見えるものなので多くの人の賛同も得やすいが、数学とか物理に才能のある子供の場合でも、「電気がもったいないから」という理由で冷房温度を上げれば、汗だくで勉強することになり、浅田選手に良い環境で練習をさせないことと同じになります。 もちろん、たとえば資源が本当に底をついて「人類的危機」なら話は別ですが、世界の燃料のほぼ半分を使っているアメリカ人、中国人をはじめ、ほとんどの国の人がフンダンにガソリンや電気を使っているときに、日本人の子供や若者に「節電」や「節約」をさせて、せっかくその子の力を発揮させることができるのに、「節約しても人生は変わらない」という人が自分のことだけを考えて節約を強いているのが現状なのです。 (平成26年1月6日) 2.mp3
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